2009年7月2日木曜日

ぼくの馬車はゆっくりと進む Op142-2

ペータースのシューマンの歌曲集も3巻まで進むと、普段あまり聞かれない曲がほとんど。Op142は4曲からなり、詩人の恋をまとめる時、作曲者自身によって”選外”とされたものが2つ入っていて、この曲はそのうちの一つ。


4つとも曲の出来や、歌い手、ピアニスト、聴く人に与える感銘はそれぞれ違うし、連作歌曲集では無いため、ばらばらといった感じはする。この曲は個人的にお気に入りで、後奏の部分は頭が空っぽの時などに良く思い出すもののひとつ。ハイネの詩の大意は次のようなもの。

 ぼくの馬車はゆっくりと進む、
 楽しげな森の緑を抜け、
 花いっぱいの谷々を通って。そこでは魔法のような魅力を放って、
 太陽のきらめきの中、花咲き乱れている。

  

 ぼくは座って、思いにふけり、夢見る、
 そしてぼくの恋人のことを想う。
 その時、三つの幻影が
 馬車に向かってうなずき、挨拶をする。

 彼らはピョンピョン飛び跳ね、しかめっ面する、
 このようにあざ笑いながら、でもこんなにはにかんで。
 それから霧のように一緒にグルグル回って、
 クスクス笑い、サッと通り過ぎていく。


ドイツ語は良く解らないし、ハイネについても正直門外漢なので、私がこの曲に魅かれるのはピアノの響きとメロディーがメイン。後は訳詩を読みながら勝手な想像をして楽しんでいるという訳。

シューマン自身は何を表現したかったんだろう?

まず、明らかに気がつくのはのは2つの特徴的な動機で、それぞれの魅力を聞かせた上で、後奏でそれらを組み合わせている事。また2つの動機が詩の中のモチーフにそれぞれ対応している事。
一つ目は左手Bの長い持続音の上にのる、八分音符:4+十六分音符:4の定型リズムによるもの。和声がゆらめきながら微妙に変わっていく、ピアニスティックな動機だ。ピアノで弾くと自然な流れ、で何より左手の伸びるバスが気持ちよい。

二つ目は、切れ切れにあえぐリズム動機、そう、 「詩人の恋」第13曲:ぼくは夢の中で泣いた で使われたものと似たものだ。こちらはそれ自体では魅力に乏しい、というかわざと干からびて不気味な感じを狙ったものでしょう。

それぞれの動機が、緑/花/太陽に彩られた森と、夢の中に出てくる幻影に結びついている事は言うまでも無い。

後奏ではこの二つが組み合わさり、そしてピアノの右手が、終わってしまった歌のメロディーを反芻するような、しないような、シンプルだが深い歌を紡ぎだす。リズムはシンメトリックなままで。

ここの部分はとても魅力的で、詩人の恋の有名な後奏に比べるとリズム動機の拡大等がない分やや平板だが、”心の奥から出てくる感じ”はまさにシューマンならではのもの。

ところで、(当たり前だが)シューマンの、心の奥に何があったのかは、良くわからない。 何回聞いても解らない(そりゃそうだ)。私としては詩にインスパイアされて、彼の心の思いが鮮やかに浮かびあがる様を感じるだけでは不満で、その中身について具体的に理解したいし、いつか理解できる時が来ると期待してたりする。

まぁ一生無理なんだろうけど。


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