2009年8月6日木曜日

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 「セリオーソ」 Op. 95

極限まで凝縮された弦の響き、妥協の無いリズムの追求、無駄を削ぎ落とした構成美、隣接したダブルストップの緊張感、など、など、、、


古来この曲に対する賛辞は多いが、この曲を完璧に弾きこなした例はあったのかしらん?

ネイガウス(ロシア・ピアニズムの泰斗)によれば、現実を超越した観念として「あらねばならぬ」という想いがあって初めて、音楽の次の階梯が示されるのであって、楽器奏法のパターンなどはそれによって規定されるらしい。鍵盤や弦のアクロバットの探求(リストやパガニーニの例)がもたらした地平より、聾の作曲家の普通じゃない思い込みの方がずっと広大なパースペクティブを示すようだ。この傾向はピアノにおいて著しいらしい。

ベートヴェンの弱点としては、(モーツァルトに比べると)響きに対する粗雑さ、トュッティの際に聞こえない声部があるなどのあら探しがあると思いますが、こと弦楽四重奏においては楽器編成としての薄さが却って彼の弱点を隠しているように思われます。

この曲の、これでもか!といった非情な減七の響きとか、リズムの仮借ない繰り返しなどは、正に快感、耳への悦楽に他なりません。楽器が悲鳴をあげているが、決して無理な感じはしません。

弾け、といわれると誰もが躊躇するとはおもいますが、、、、さっき聞いたら、のどが引っ付く程興奮してしまった、ので思わずこの文章を書いています。




2009年7月13日月曜日

8回目の日本出張-キャベツの芯


急遽今年8回目の出張が決まる。日曜日朝便で東京へ、水曜日朝便でマカティにトンボ帰り。お客様訪問2件のみ。火曜日は家族サービスで休み。(午後1件仕事を入れたが)


家人の為にスーパーで買い物をし、肉野菜炒めを作る。水、油、火力、素材、全部マカティで入手できるものとは段違いに品質が良く、しかも決して高くない。

今の東京の家は無理して都心の”駅ちか”に借りたため、言語道断に狭い、はっきりいうとキャンプ生活に近い。料理用の道具も最小限に抑えられているため、フライパンが小さい-20cm位?。

仕方ないので、炒め物は、キャベツ->(ピーマン+タマネギ)->肉 と3回に分けて炒め、最後に混ぜ合わせて炒めなおす。気をつけるのは切るサイズを揃えることと、塩加減ぐらいか。キャベツはゴマ油、ピーマン+タマネギはサラダ油、肉はゴマ油僅かとサラダ油でいためる。最後は油は入れずに酒と醤油でまとめればOK。

美味しい (^^)。 キャベツには絶句した。(芯の部分の歯ざわり)ってか、野菜ってこんなに美味しかったっけ??!!

炊きたての飯と一緒に食べると、もうマニラに戻りたく無くなる。こんなもの都内のスーパーでありふれた素材だし、肉なんて水太りしたのブロイラー豚(?)だが、どうみてもマカティのレストランの5倍、自炊の3倍がた旨い。

明日は午後時間があるので、持ち帰る食材を熟考しよう。少しでもましなものをマカティで食ってやろう(涙)。 私は食い意地だけは人には負けないのだ。




2009年7月12日日曜日

ジープの豆電球-パッシグ川、JPリザール

社員の給与関連の調整でてこずり、帰宅時間が(最近珍しい事だが)遅くなってしまった。遅いくせにマカティは相変わらず渋滞。正気の沙汰では無い。地下鉄作れないなら、せめて自転車とか歩きで通勤できる仕組みにしろよ!と心が絶叫する。道と治安がまともなら迷うこと無く車を降りて歩くのだが、それをやるときっと後悔する事になるのだ。しょうがなしに迂回道をとり、パッシグリバーからJPリザールへ。が、ここも込んでて渋滞の元凶の原因であるジープが大挙してのさばっていやがる。歩くのと同じスピードなので、これも一種の散歩だと思ってあきらめる事にする。


ジープ、私はこやつが大嫌いだ。汚いし、臭いし、存在自体が許せない。リア部分の天井の丸っこいところなんて迫撃砲で破壊したくなる位だ。たとえてみれば幼い頃の家の便所(汲み取りだった)や、学校のごみ焼却場と同じ類の、悪夢に出てくるアイテムと同列か、それ以下のものだ。忌まわしいのは物理的な存在だけでなく、そのシステム(どこでも乗り降り可能というもの)まで、虫唾が走る。

いくら私がわめいて見ても、ここはパッシグ川、すぐ近くにはスラム街が漆黒の闇に眠っていて、そこの住人は昼間はトタン屋根の炎熱にさらされながら、モールのエアコンを夢見る。夢想するだけでなく実際に移動する必要があるわけで、その時にジープはなくてはならないものなのだ。


ま、しかたがないので、ウインドウ越しに観察することにする。スシ詰めにつまっているもの、がらんとしているもの。子連れで口をハンカチで押さえている母親、出勤中のGRO、普通の勤労者、オッサン、汚いガキ、ブラックジョークの一種としか思えないエンブレムのコピー(写真はフェラーリ)、耐え難いクラクション、音楽。そして田舎の屋台のような豆電球の内部照明・・・ん、なんだあの色は?

1台のジープニーの内部照明が目を引く。蛍光灯なんてあるわけじゃなし、バッテリー直結の豆電球がジープの明かりだ。普通は汚らしい黄色なのだが、こいつは毒々しい緑色だ。

写真を取れなかったのが悔しいが、場末のGoGo-Barに出てくるジンライムの色だ。見ているだけで胃の奥に味まで思い浮かぶ程だ。キツイ人工の杜松の風味、不純物だらけのアルコール、汚いグラス。。。そんな人造セルロイドの緑が匂ってきそうな地獄の明かりに照らされた人々の目はうつろで、絶望感しか無い。

マジ、正視に堪えません。フィリピン人が陽気なんて嘘。つらいねぇ。


友人から聞いた話

以下友人 Nさんから聞いた話。(一部フィクションです。念のため)

Nさん 「や、まいど。まいった、まいった」

わたし 「どうしました?目が真っ赤ですが」

Nさん 「昨日、早めに仕事を終えて家でひっくり返ってると、なじみのカラオケの女の子からワンギリがあってさ」

わたし 「あ、そっちの話ですか。」

Nさん 「しらばくれて、誰?とTextしたら、珍しく普段は使うのを嫌がっていた本名で答えよる。すぐに会いたいと。ちょっとおかしいなと思って、今どこ?と返したら、自宅にいて今からそっちに行く、助けてほしいときた」

わたし 「? ちょっと展開が妙ですね」

Nさん 「ちょっとあせって、問いただしたところ、今週末ダヴァオに帰る。新しい生活を始めるのよ。Can I ask a request from you?, というTextが。」

わたし 「・・・英語だとそういう言い回しになるんだ・・・」

Nさん 「寝ぼけてたせいもあって、言ってることを理解するのに30秒程かかった。もう自宅でごろごろモードだし、これからセックスするのも大儀だったので、外であおうとText返したわけ。」

わたし 「大儀だなんて、そんなバチがあたりますよ」

Nさん 「いや、正直シャワー浴びるのもめんどくさいし、もうオナニーもしちゃったので。。。」

わたし 「知らんわそんなこと。それで?」

Nさん 「それで、待ち合せ場所を決めようとしたんだけど、普段のお互いの生活範囲がぜんぜん違うので、中々きまらん。面倒なので結局部屋に来てもらうことにした。セットアップの可能性も頭をよぎったのでね。」

わたし 「ふぅん、やっぱりしちゃうんだ」

Nさん 「ところがたまたま現金が無いことに気がつき、ATMにいく羽目になってしまった。道々、今出たとこ、とか、タクシーに乗った、とか、もうすぐよとかTXTがピンピン鳴って、正直辟易した。金を降ろして部屋に戻って、シャワー浴びようとしたら、”今ついた”ときたので、寝ぼけ眼でロビーに迎えにいった。」

わたし 「いくら降ろしたんです?」

Nさん 「1万。ロビーに行くとラフな普段着でソファにちょこなんと座っておる。店で見かけるのとは雰囲気が違い、思わずドキンとしてしまった。」

わたし 「どんな娘なんです?」

Nさん 「ちょっとスペイン系が入ってるかな。背が高く、スタイルもそこそこのモデル。最初はバーファイン無しだったっけ。美貌。子持ちの21才。頭はわりといいかな?服装と香水の趣味がいい娘だね。」

わたし 「へぇ、いつから知ってるんです?」

Nさん 「半年ぐらい前かな。とりあえず部屋に通して、話を聞くと、もうお店はいやになった、将来のあては無いけどダヴァオに戻る。子供はもう昨日先に返した、と話始めた。切符はもう買ったといってチケットを見せてくれた。お金が無くて身売りをしようというぐらいに困っているくせに、なんと飛行機で帰るつもりだ。」

わたし 「昔風に言うと高級売春婦ってやつですか?ただよくあるパターンですね。金が無いので、Nさんを頼ってきたと。後はお楽しみですな。」

Nさん 「ところが話しているうちに僕自身がだんだんと興奮してきてしまってね。理由は自分でも良くわからないんだけど、若くてきれいな娘を前に、罪悪感と性欲と、憐憫と可笑しさとがない交ぜになって変になってしまった。直ぐに押し倒しちゃいたいという衝動を抑えるのに必死さ。彼女途中で泣きだしちゃうし。」

わたし 「あらら。」

Nさん「そのうちカタコトの英語でその娘相手に原罪論までぶち始めたわけ。彼女目を白黒させてたな。そのうちこりゃいかんと気づき、深呼吸をして、返済期限なしで金を貸します、いくら必要と聞いてみた」

わたし 「何ともったいない。。。もう好き放題できるシチュエーションでしょう。っていうかその娘にも尊厳があるんだからキチンと取引してあげれば良いのに。まぁ原罪ほにゃららはNさんらしいですけどね。でいくらと言ってきたんですか?」

Nさん 「お恥ずかしい限りだ。彼女は逡巡していたが、1万5千ペソ欲しい、とはっきり言って来た」

わたし 「また高いな。払ったんですか?」

Nさん 「1万ペソ渡した。」

わたし 「・・・・まぁそんなものですかね。最初から1万渡すつもりだったんでしょ?しのごの言わずだまって渡せば良いのに。」

Nさん 「金額の話をしてる間の緊張感は、今思い出しても嫌な感じだ。彼女もカソリックだし、どう懺悔するのだろうか」

わたし 「趣味が悪いな。そんな嫌な事人に聞かないで。。。って続きを話してください。」

Nさん 「お金の話が済んだのでそのまま返そうと思ったが、もう欲望が頂点に達しているので、それじゃバイバイって中々言えない。」

わたし 「情けないですが、そうでしょうね。それで?」

Nさん 「写真を撮らせてもらった。」

わたし 「見せてください! 脱いでもらった?」

Nさん 「お断りする。着衣のままだ、馬鹿もの。」

わたし 「見たいのに~。それで?」

Nさん 「最後にキスをした。優しい甘い匂いを嗅ぎながら股間を撫でられた時には失神しそうになってしまった。」

わたし 「け、結局押し倒したんですね!?」

Nさん 「いや。以上で終わり。そのまま玄関でバイバイさ。自制できたのは、単純にシャワーを浴びたりするのが面倒だっただけだ。」

わたし 「寸止めだな、、、それでセットアップは無かったんですね」

Nさん 「僕のコンドだとそれは無理だから。いやとにかくどっと疲れて、状況の異常さと自分の情けなさと、やり場の無い性欲とで、しばらく煩悶していた。結局又、オナニーして寝たがね。」

わたし 「聞いてる私も欲求不満になりましたが」

Nさん 「ごめんごめん。情けない話だけど、僕にとっては事件さ。誰かに話さずにはいられなくて。」

わたし 「まぁ、良いです。解りますよ。色々参考になります。」

Nさん 「君も気をつけろよ」

わたし 「何に気をつければ良いのやら、はっきりしませんね」

Nさん 「僕がもう少し英語が話せて、女性や、フィリピンでの貧富の差や、売春についてまじめに捉えていれば、違った風に対応できたと思うんだ。つまり彼女に嫌な思いをさせずに、同じお金を渡せたし、僕の欲望も昇華した形で発散できたかも。」

わたし 「英語はともかく、まじめに云々というのは逆じゃないですか?スマートに賢く対処するだけなら、もっと軽く考えるか、まずは相手の娘の気持ちを第一に考えていれば済む話だと思います。それに昇華って単にしこしこオナニーするだけでしょ?」

Nさん 「(涙目で)それをいうな。ま、君の言うとおりかも。とにかく誰にも見せられない写真を撮っちゃた事は確かだ。あれ以来、この写真、消すべきかどうか頭から離れないんだよ・・・」

わたし 「大丈夫ですってば。一週間すれば忘れますよ。で、写真見たいんですが」

Nさん 「だめだ。」

ああ、その娘の写真が見たい、絶対見せてくれないに違いないが。

2009年7月6日月曜日

排気ガスの洗礼

昨日日曜日にマカティに戻る。思ったより涼しく、拍子抜けするが、パサイ近辺の道路に散らばるゴミを見て、ああ、マニラに帰ってきたなと感じ入る。ゴミ自体ももちろん汚いが、散乱の度合いが反吐が出る程いやな感じ−無秩序さとそれを放置している人間の不潔さと、その原因となる貧富の差、蔓延する根拠の無い楽天主義にオエっとなってしまう。


本日より駐在業務復帰。朝早速車にトラブルがあり、タクシーで事業所に行くはめに。体力に限界を感じたので早めに仕事を終え、ドライバーが車の修理のため15分程待つ必要があり、「待つ位なら歩いて行こう」とばかりに5時過ぎに日本食材店までオフイスからプチ散歩を敢行。
ヴァレロ−ブエンディーア−アヤラExtention−メトロポリタンと歩いたが、凄まじく汚いジープとぼろ車の洪水の中を歩くため世界最悪の排気ガスをまともに浴びるはめになり、発狂寸前となる。いやなら車でいけば良いのだが、日本から戻ったばかりでどうしても日本の感覚で行動してしまう。
教訓:平日のマカティ中心部の幹線道路沿いは間違っても歩いてはいけない。

2009年7月2日木曜日

ぼくの馬車はゆっくりと進む Op142-2

ペータースのシューマンの歌曲集も3巻まで進むと、普段あまり聞かれない曲がほとんど。Op142は4曲からなり、詩人の恋をまとめる時、作曲者自身によって”選外”とされたものが2つ入っていて、この曲はそのうちの一つ。


4つとも曲の出来や、歌い手、ピアニスト、聴く人に与える感銘はそれぞれ違うし、連作歌曲集では無いため、ばらばらといった感じはする。この曲は個人的にお気に入りで、後奏の部分は頭が空っぽの時などに良く思い出すもののひとつ。ハイネの詩の大意は次のようなもの。

 ぼくの馬車はゆっくりと進む、
 楽しげな森の緑を抜け、
 花いっぱいの谷々を通って。そこでは魔法のような魅力を放って、
 太陽のきらめきの中、花咲き乱れている。

  

 ぼくは座って、思いにふけり、夢見る、
 そしてぼくの恋人のことを想う。
 その時、三つの幻影が
 馬車に向かってうなずき、挨拶をする。

 彼らはピョンピョン飛び跳ね、しかめっ面する、
 このようにあざ笑いながら、でもこんなにはにかんで。
 それから霧のように一緒にグルグル回って、
 クスクス笑い、サッと通り過ぎていく。


ドイツ語は良く解らないし、ハイネについても正直門外漢なので、私がこの曲に魅かれるのはピアノの響きとメロディーがメイン。後は訳詩を読みながら勝手な想像をして楽しんでいるという訳。

シューマン自身は何を表現したかったんだろう?

まず、明らかに気がつくのはのは2つの特徴的な動機で、それぞれの魅力を聞かせた上で、後奏でそれらを組み合わせている事。また2つの動機が詩の中のモチーフにそれぞれ対応している事。
一つ目は左手Bの長い持続音の上にのる、八分音符:4+十六分音符:4の定型リズムによるもの。和声がゆらめきながら微妙に変わっていく、ピアニスティックな動機だ。ピアノで弾くと自然な流れ、で何より左手の伸びるバスが気持ちよい。

二つ目は、切れ切れにあえぐリズム動機、そう、 「詩人の恋」第13曲:ぼくは夢の中で泣いた で使われたものと似たものだ。こちらはそれ自体では魅力に乏しい、というかわざと干からびて不気味な感じを狙ったものでしょう。

それぞれの動機が、緑/花/太陽に彩られた森と、夢の中に出てくる幻影に結びついている事は言うまでも無い。

後奏ではこの二つが組み合わさり、そしてピアノの右手が、終わってしまった歌のメロディーを反芻するような、しないような、シンプルだが深い歌を紡ぎだす。リズムはシンメトリックなままで。

ここの部分はとても魅力的で、詩人の恋の有名な後奏に比べるとリズム動機の拡大等がない分やや平板だが、”心の奥から出てくる感じ”はまさにシューマンならではのもの。

ところで、(当たり前だが)シューマンの、心の奥に何があったのかは、良くわからない。 何回聞いても解らない(そりゃそうだ)。私としては詩にインスパイアされて、彼の心の思いが鮮やかに浮かびあがる様を感じるだけでは不満で、その中身について具体的に理解したいし、いつか理解できる時が来ると期待してたりする。

まぁ一生無理なんだろうけど。


マッキンリーロード

マカティの目抜きであるアヤラアヴェニューを下り、EDSAを越えるとマッキンリーロード。まがりなりにも街路樹がある事と広い歩道が1KMあるので、辛うじて散歩道として使用可能。到達地点がフォートであるところも良いかな、と思います。難点はやはり車が多く排気ガスが大変なのと、両脇が金持ヴィレッジの代表、フォルベスパークであるため、いやおう無しにこの地の貧富の差を思い出してしまい、ブルーになってしまうこと。ポロクラブとかありますけど、地震でも起きたらスクワッター達に焼き打ちにあっても不思議じゃなかったりして。

車の少ない朝早く、自宅のコンドからタクシーで乗り付けて散策を楽しむのが解決策ぐらい(2度実施済、ただいやな運転手にあたるとそれで気分は台無し)。
何度も歩いたけど、やっぱり散歩してる人をほとんど見かけない。。。とほほ。
マニラでは正気の沙汰では無い行動をとる人が多いな、といつも思うけど、一番変なのは自分なのかも(^^;